Fight.2 ゾーフィファイト
暴君怪獣 タイラント登場
あっ!あれはタイラントであります!
怪獣たちの怨念が集まって合体した怨念怪獣タイラントです!
獲物を探しているかのような目つきで、荒野を練り歩いております!
しかしその背後にいるのは!
ゾーフィであります!プレミアムな体色の外星人だ。
なんだおめぇ!とタイラントが背後のゾーフィをにらんだ!
ああっと!いきなり強烈なストロングパンチ!ひとたまりもないかゾーフィ!
しかし、微動だにしません!いったい何を考えているのか、ゾーフィがこのようなテンションでは、このまま我々全員含めてタイラントにタコ殴りにされる運命なのでしょうか、
おらおら!このまま故郷に引きこもりたくなるほど、やってやるぜ!とタイラント
ゾーフィ!このまま思惑通り引きこもりィィになってしまうのか!?
「ダァァァァァァッ!」
おおっといきなり反撃のゾーフィパンチだ!タイラントが一気に吹き飛ばされました!
しかし、動きはいまだに鈍いです!ゾーフィ何を考えているのか!
全く、我々にはわかりません!
しかしいきなりタイラントの腕を踏みつけた!
唐突な踏みつけにタイラント大骨折です!まるで、ゾーフィ、この一撃を狙っていたかのようであります!
たった2発の攻撃でグロッキーなタイラント、足元がフラフラです!
ゾーフィがさらにその角を掴んで!
一気に投げ落としだぁぁ!
これには敵わず、タイラント、ダウンです!
見事勝利したゾーフィですが、勝利の喜びはその表情から受け取れません!
ただただ、静かに立ち尽くすゾーフィです。
(つづく?)
絶対に他所のバイアスかけてはいけないシン・ウルトラマン感想 後編
「シン・ウルトラマン」見ました。
公開日から鑑賞後まで、ネット上での一切の他者の感想をシャットアウトして
感想を記事としてまとめました。ネタバレ全開。
今回は、後編です。
現在作品は上映中の段階であり、配信・ソフト販売もされていないため、
自宅にて内容の確認が困難な状況で、本記事は作成しました。
細部に異なる認識がある場合も大いにあります。
しかし、本記事は他者の感想の影響を排除し、初回鑑賞時の純粋な作品感想を残す意図もあるため、了承の上、ご覧ください。
今回は、全体のなかで印象に残ったものを箇条書きでまとめています。
3.随所に散りばめられた小ネタ
・冒頭でぺギラ、ラルゲユウス、と続いて登場したカタツムリのような禍威獣「カイゲル」は、一見聞き慣れない名前のように思いますが、旧作のゴーガの企画段階の名称を引用したもの。ほかにも、ネロンガ、ガボラの前にパゴスが出現していたり(デザインも今回のもの基準)と、短い間に小ネタと情報量を詰めこんだ導入が続きます。正直、この時点で見ていて情報量の多さに頭がパンク状態でしたが・・・。着ぐるみの制約上、やむを得ず誕生した経歴のあるバラゴン系列の怪獣たちに設定上のリンクを持たせたのは、既存のキャラクターへの好意的な解釈でありますが、その設定を物語上生かしていたのが印象的です。
(ここら辺からちゃんとした記事として書くことを放棄して、メモのような体裁になっていきます。)
・ネロンガの電撃を胸筋バリヤ、偽ウルトラマンにチョップして痛がる仕草、メフィラスとの戦闘、基本的に旧作を踏襲した戦闘シーンで構成。絶大的なファンの人気を誇る戦闘シーンのリメイクは惹きつけられる。特に、ザラブ星人との空中戦は、シーン、音楽、スピード感、戦闘のテンションともに、G3の空中戦のクオリティを、邦画特撮でついに更新した感がある。
・選曲が、作品のテンションと一致しているのが見事。
・狙ったかのように、大怪獣のあとしまつの出演者が同じような役で軒並み出演していたのはどういうことなのか・・・。偶然?強烈な逆カウンター?
加えて、シンゴジラのセルフパロデイのようなセリフ、描写多数。あの映画よりシーンも割く時間も少ないが、よっぽどパロディになっていた。
4.ウルトラマンのデザイン・描写について
・ウルトラマンは、初登場時、全身銀色の状態かつAタイプのマスク。まさに、正体不明の銀色の巨人。展開が進むと、赤のラインや顔のデザインがCタイプになるが、ストーリーの展開的にもヒロイックな部分が付加されていくのとデザインのテンションが比例しており、良い。成田亨氏のデザインに基づき、カラータイマーは排除したデザインだが、エネルギーの消費を体色の変化で表現。
かつてウルトラマンのデザインに盛り込まれたカラータイマーは、白黒テレビで見ている視聴者にも伝わるよう、点滅する仕組みになっていた。
今回、ウルトラマンの造形コンセプトとしてカラータイマーは排除されているが、それと同時に現代のシン・ウルトラマンはカラー作品であり、点滅せずとも体色の変化でエネルギーの消耗を表現しているのは、今、1から初代ウルトラマンを作り上げたらというコンセプトに非常に合致しているため、違和感がなかった。
個人的に、序盤はAタイプで徐々にマスクがカチッとしていくのではないかという予想が当たってうれしかった。
あと、銀色タイプや緑バージョンのウルトラマンは絶対ソフビで出すんだろうなぁ。あと、ゾーフィもリデコで出せるしなぁ。
バンダイから出したアイデアではないんだろうけど、そういうことになって彼らは嬉しそう。(笑)
長澤まさみが初めてウルトラマンを目撃するシーンで「美しい」と言っていたのは、桜井浩子さんが初めてウルトラマンを見たときの感想に着想を得て、同立ち位置のヒロインに劇中でそれを言わせちゃったのかな?と思った。(桜井さんは様々な媒体で、ウルトラマンを初めて見たときの感想を、美しい・綺麗と語っています)
5.怪獣の描写
・「シン・ゴジラ」はゴジラは暴れ回るわけではなかったが、今回は対照的に存分に暴れ回るネロンガとガボラを見られて満足。CGのクオリティも違和感がなかった。随所にアナログ特撮の要素を感じさせる描写があり、良い。ネロンガの角の透明感が造形物っぽい、ウルトラマンの質感がスーツ生地のような質感になっている、明らかに飛び人形っぽい質感をしているなど。
・ネロンガとガボラ、それぞれオリジナルに準拠したバトルフィールドで、差別化された戦い。ガボラ戦では肉弾戦が十分に描写されており、贅沢なバトルシーンであった。
・また、ガボラ編でMOP2が登場。ここでも、「シン・ゴジラ」でおなじみの要素登場でつながりを感じさせる。
・ゼットン、生物というよりは、宇宙戦艦のような存在。今回は、恐怖感よりも得体の知れなさが先行。ウルトラマンを倒すことで強敵感などというレベルでもなく、笑ってしまうという余裕もなく、静かに絶望する、新しい感覚。ゼットンに最後の戦いを挑むウルトラマンのシーン、静かに盛り上がる。
6.今作の世界観
・シンゴジラでは怪獣が異質な存在であるが、すでに本作では怪獣の存在が異質ではなくなっているさまを描いている。ポスト怪獣。本来ウルトラマンの世界では、怪獣は頻出する存在であるため違和感のない世界観だったと感じる。怪獣が出現しても、台風や火事から逃れる程度の脅威のボリューム感。そのボリューム感が、作り上げられたSF的な世界観を構築していると感じた。現実的な世界観に虚構が入り込む面白さとは別の、独自の世界観が緻密に構築される面白さ。そして、初代の要素を踏襲しているのが、そのような世界観でありながら、妙に日常的な風景を織り交ぜた絵作り、要素がある事。公園のブランコや人間の親子、居酒屋。まさに、ローテクSFといった感じ。人間の日常的な部分とはかけ離れた、スケールの大きいストーリーラインであるにもかかわらず、それに対照的な我々の普段見るような描写が入ることによって、違和感なく観ることができるという不思議なロジックが成立していると感じた。独自のバランスがある世界、作品のムードが一辺倒ではなく、バラエティに富んでいる。硬派ながら、ソフトを織り交ぜている感じ。シンゴジラと比較すると、デフォルメされた世界観。
7.今作のストーリー
・ストーリー的には、メフィラスが良かった。かつて、子供に挑戦し、地球を奪えなかったメフィラス。現代では、政治家相手に、いとも簡単に政府を掌握。旧作との対比。子供が守った地球が、簡単に政治家の利害判断によって売り渡される。強烈な風刺。初代の、必ずまたやってくるぞ、というあの声が、別の形で実現・再来したかのよう。
・偽ウルトラマン・巨大長澤まさみ・ザラブの薄さ、バラエティに富んでいる。コミカルなものもありながら、描写としてユニークなものや、特撮でやることで面白いことも再現。ウルトラマンという作品は、ただ怪獣や宇宙人とウルトラマンが戦うのではなく、そういった奇想天外なおもちゃ箱のようなバラエティがあるのが、魅力。
・旧作のセリフ多数踏襲。放たれ方や引用の方法が変わっているものあり。詳しくは覚えていないが、多数そのようなセリフがあった。改めて細かく比較したい。特に、メフィラス回であった、人間とウルトラマン両方であるこののセリフが、全体的な設定・作品の抱える思想に生かされている。
・今作の設定の積み重ねは、近年のウルトラにあるような集合要素・つじつま合わせ的な設定ではなく、高度な宇宙文明があることを現実的に想定した上でのSF的設定。説得力がある。侵略目的の解釈も唸った。地球が欲しい、ではなく、さらに細かく、地球をできる限り今の形で保存したい、人間は兵器化、など、より脅威として描写。
8.ウルトラマンと人間
・ウルトラマンと長澤まさみのコミュニケーション、描写がSF要素の中に輝くファンタジー要素となっていてよいスパイス。旧作やシリーズ中でウルトラマンと少年として描かれていた関係性を、相棒の女性に置き換えて一般向け映画向けにアレンジ。チームとしては相棒であるが、友情ともそれ以上の感情(しかし、決して色恋とは限らない塩梅)ともとれる不思議な関係性が魅力的。マニア的には、ここに自分を投影できるとも考える。
・徐々に意思疎通が重なるウルトラマン。ガボラ戦では彼の人間を守るという強い意思を匂わせ、ザラブ戦でそれは確信に変わる。メフィラス戦では相互に協力し、名実ともに地球を守る。そして、それまでの積み重ねがゼットン戦でウルトラマンの決意につながる。その決意に、ヒロイズムを感じずにいられない。全く初代ウルトラマンと戦う動機が異なるのにも関わらず、芯にこもる意思、そのまなざし、背中、姿はウルトラマンそのもの。今作のデザインを見たときは
・正義の味方ではなく、狭間にいる存在。旧作のウルトラマン、よく考えてみると戦う理由があいまいだったのかなと思った。お人よしな宇宙人というラインもよいが、かつてウルトラマンを作るときに打ち立てたラインである、違う文明を持った高度な異星人というライン。人類を滅ぼす、というセリフをウルトラマンが口にするのは衝撃的だったが、決して従来のキャラクターのが発言しているわけでなく、世界観の構築がなされているからこそ違和感無く入ってくる。この点は、全く新しいウルトラマンの魅力。今後もウルトラマンという、キャラクターが広がる可能性を感じた。
・全く予想外の登場だったゾーフィ、しかも、児童誌ネタを踏まえての登場。ウルトラセブン的要素も含んでいる今回のウルトラマンだったが、本人の言う通り、最終的に希望を持ったからこそゾーフィに助けられ、主人公にその命を託したウルトラマン。それに心を動かされるゾーフィ、という流れをトータルで見たときに、鑑賞している私たちから見て、彼らの人間に近い部分というのを感じることができる。映画としてもシン・ゴジラと違って前向きなオチになったのが良かった。
・常に狭間で一定点から戦ったウルトラマン、彼に命をもらった主人公が目を覚ましたとき物語は終わる。次に現実世界で生き方を決めるのは、観客の我々だ。
9.最後に...
・シン・ゴジラとの積極的なつながりを断つようなシーンを見せておきながら、一切の役名を伏せて登場する政府の男、竹野内豊。加えて、本作の総理大臣はシン・ゴジラで臨時大臣(平泉成に続くナンバー2的立ち位置)を演じた島田久作。あの映画では、平泉成は最後臨時総理大臣を辞任したから、その次に総理大臣になるとしたら・・・なるほど、という感じ。やはり、アフターシンゴジラ的な要素が多い。キャラが全くつかめなかったので確信はないが、ウルトラマンと会話するときの政府の男の印象、かつてシンゴジラでも見たような印象が・・・。
こんな感じです。
いやー、面白かった。シンゴジラは、堅実な映画だったと感じますが、今作はずばり、飛躍といった印象。
何より、初代ウルトラマンのバラエティに富んでいて、SFでもありながら庶民派なドラマの空気が現代流に再現されているのがうれしかったです。
しかし、この程度でも感想をまとめるの、疲れました。(大した事も言って無いのに...。)
やっぱり、次から感想はツイートでダラダラ流すので、いいや...。
絶対に他所のバイアスかけてはいけないシン・ウルトラマン感想 前編
「シン・ウルトラマン」見ました。
公開日から鑑賞後まで、ネット上での一切の他者の感想をシャットアウトして
感想を記事としてまとめました。ネタバレ全開。
今回は、前編です。
現在作品は上映中の段階であり、配信・ソフト販売もされていないため、
自宅にて内容の確認が困難な状況で、本記事は作成しました。
細部に異なる認識がある場合も大いにあります。
しかし、本記事は他者の感想の影響を排除し、初回鑑賞時の純粋な作品感想を残す意図もあるため、了承の上、ご覧ください。
1.映画冒頭
「シン・ウルトラマン」最初の大きな見どころは冒頭でした。
「シン・ゴジラ」の冒頭は、
東宝マーク(現行)→東宝マーク(昭和時代・南海の大決闘版)→青背景に東宝映画作品(84ゴジラ版と同様の色味・フォント)→タイトル→映倫→船上から流れるように見た海面(初代ゴジラのファーストカットを踏襲)、という流れでした。
冒頭部分について、どういった演出意図が含められているのか、言及した資料や機会は無かったと思いますが、以下のような解釈ができて、マニアとしては特別な意味を持った演出でした。
<シン・ゴジラ冒頭シークエンスの解釈>
・現行の東宝マークを出した後にかつての東宝マークが出てくるのは、現行の小綺麗なマークじゃなくて、実際の特撮で製作された、あのギラギラした昭和時代の色彩のマークから映画をスタートさせたいという意思を感じました。映画を現行の東宝作品として公開する以上、現行のマークを使わざるを得ないわけですが、あまりにもその意思が強いため、現行東宝マークをまず表示して(東宝製作作品として、必要な様式を事務処理的にクリア)、映画本編の冒頭映像として必要な昭和時代のマークを表示する、という形となったと推測しています。その結果、世にも珍しい「2回東宝マークが出てくる映画」となったと考えます。
・青背景の東宝映画作品も、昭和時代の東宝マークと同様に、ゴジラ映画にはお馴染みのシークエンスです。ゴジラ映画としての様式美を、旧シリーズから守った形となります。
・タイトル、映倫
タイトルと同じ画面上に「映倫」と表示するのを嫌ったため、このような流れになったと推測。
・冒頭の海面から始まる流れは、まさに、初代ゴジラに敬意を表し、その意思を受け継いだ映画というアピール。ちなみに、過去の作品では「ゴジラvsデストロイア」もこの演出を用いています。
シン・ウルトラマンの記事なのに、ここまでシン・ゴジラの話しかしていませんが…。前置きが長くなりましたが、このような前例があるため、「シン・ウルトラマン」も冒頭にこのようなシークエンスが詰め込まれているのではないかと想像していましたが、その通りでした。
東宝マーク→円谷プロマーク→株式会社カラーマーク→ULTRAMAN ブランドロゴ→東宝映画作品→ウルトラQ風に「シン・ゴジラ」タイトル→前ロゴを破って「シン・ウルトラマン」タイトル→映倫→ゴメス登場シーン→・巨大不明生物出現
改めて書き出してみましたが、この時点で訳が分からないような気がします。ULTRAMAN ブランドロゴまでは、作品体裁上の流れで予想はしていましたが、「シン・ゴジラ」を踏襲してまず東宝映画作品 マークを出してきたのは驚きました。この時点で、「シン・ゴジラ」を踏まえた作品となる予想はつきますが、その次が予想外でした。
公開前に、「ウルトラQ風のタイトルで東宝マークを出し、それを破ってシン・ウルトラマンのタイトルが出るのではないか」と予想し、その内容の予想映像付きツイートにも多くの意見を受けました。
初代「ウルトラマン」を踏襲する始まりとするならば、あの始まりを再現するのは間違いないと考えていましたが、ウルトラQに相当する前作品がシン・ウルトラマンには存在しません。そこで、東宝マークを置き換えて、再現するのではないかと個人的には予想していましたが・・・。
まさに予想外の導入でした。確かに、「シン・ウルトラマン」の前作品に相当するものとして、あえて挙げるとすれば「シン・ゴジラ」となるのでしょうが・・・。版権上の問題で、その演出はありえないと無意識に排除していたため、予想することもできませんでした。このために、シン・ウルトラマンは東宝の配給としたのかと勘ぐってしまうほどです。加えて、これはウルトラマンシリーズ作品とゴジラ映画の明確なリンクが示された歴史上初めての瞬間ともいえるでしょう。
2.シン・ゴジラとのリンク
公開前から各所で挙げられていたのは、「シン・ゴジラ」と本作品がリンクするのではないかということでした。結果としては、「世界観はリンクしていないが、シン・ゴジラを踏まえた位置づけであることを明確に定義した作品」であったと考えます。
本作は、巨大不明生物がすでに多数出現しており、日本はそれらの脅威と立ち向かい、その過程の中で禍特対が設置されていることを冒頭で提示しますが、この部分は、シン・ゴジラと本作の立ち位置を明確に示す根拠でもありながら、遊び心にあふれたサービスシーンにもなっており、非常に秀逸だったと感じます。
・巨大不明生物第1号がゴメス
・・・ウルトラQを踏襲。ゴメスはゴジラの着ぐるみを改造したものであるというネタを踏まえて、本作ではシン・ゴジラのリデコともいえるバージョン。この時点で「シン・ゴジラ」とは別の世界観であることを示しつつ、ここにゴメスを用いることで、「シン・ゴジラ」と同じような出来事があったことを想像させる演出。
・巨大不明生物大2号マンモスフラワー
・・・ジュランのリメイク。特筆すべきは出現場所が東京駅として描写されたこと。
シン・ゴジラではゴジラが東京駅で凍結される結末ですが、マンモスフラワーが東京駅に発芽した描写をすることで、シン・ゴジラと別世界観である根拠を提示する(マンモスフラワーが東京駅に発芽≒東京駅に凍結したシン・ゴジラが居ないことを明確に明示=シン・ゴジラと別世界観であることの証明)
「シン・ゴジラ」のタイトルが冒頭に登場したとき、世界観の共有を期待する観客が一定数発生することは、想像に難しくありません。前提のシークエンスで、形式的にそれは否定されることとなりますが、上記の2要素をまず示すことで、その中で観客が抱く期待を裏切ることなく、サービスするような演出ではないでしょうか。
個人的には、一切のリンクを排除しつつ、過去に似たようなことが起こった世界観として描かれることを予想していました。結果的にそう外していない結果ではありましたが、マニアには嬉しい要素を織り交ぜてそういった処理をクリアするのは、巧いと思います。
ひとまず、前編はこれまでです。
前半どころか、まだロクに本編の内容も触れていないのですが…。最初はこんなペースで書いていたのですが、膨大な量になることを悟ったので、後半は映画全般の内容をポイントを絞った感想を書いていきました。
今回触れた内容を更に発展させて、シン・ゴジラとシン・ウルトラマンの関係性などについても、膨らませていくつもりです。
よろしければ、お付き合い願います。
第1回 メビウス&ギンガ ウルトラコンビネーション!
ウルトラ!ファイトッ!
さぁ、今回の戦いは既に始まっております、街中での大決戦!
メビウス:絶対に止めなければ・・・行きましょう、ヒカル君!
ヒカル:ああ!こんな街中で暴れてもらっちゃぁ困るからな!
レイキュバスとシルバゴンに今回立ち向かうのはメビウスとギンガであります!
ヒカル:行くぜ、ギンガ!
ギンガ:ショウラァァァァァ!!!!
ズガァァァァァァァァァン!!!
さぁ、進行を止めまいとギンガの猛タックル攻撃!
ヒカル:うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
ズガァァァァァァァァァン!!!
見事に押し込んでいる!
これ以上の進行はさせまいというヒカルの意思の現れかの如く!
見事にシルバゴンを押し込んでいる、さすがのパワーだぁぁぁ!!
シルバゴン:・・・グギャァァァァァァァァァ!!!!!
ズシィィィィィィィィィン!!!!
シルバゴン:グギャァァァァァァァァ!!!!
ヒカル:くっ・・・!
しかぁし、シルバゴンも当然押されたらそれ以上の力で押し返す!
剛力怪獣、毎回の如くそのパワーを披露していますが、今回も例外ではないようだ!
ゴォォォォォォォォォォォォォ!
メビウス:セヤッ!
そしてこちらはレイキュバスに立ち向かうメビウス!
お得意の冷凍ガス攻撃がメビウスの攻撃の機会を封じている!
この強烈な冷凍ガスを浴びたらひとたまりもありません!
ガシィィィィィィィィ!
メビウス:セヤァァァ!!
レイキュバス:レェェェィイ!!!レェェィイ!!!
おおっとさすがメビウス、一瞬のスキをとらえてレイキュバスの首をブロック!
レイキュバス:レェェェェェェェェェェィイ!!!
メビウス:くっ・・・でもこのままじゃぁ、
町が凍り付いてしまう!!
しかし首をブロックしたものの
レイキュバスは必死の抵抗!
水揚げされた時の魚介類のように暴れまわる!
メビウス:こうなったら・・・
メビウス:ヒカル君!今こそ・・・ウルトラコンビネーションです!
ヒカル:よっしゃぁ!じゃぁやってみようぜ!
ウルトラパワー全開だ!!!!
メビウス:フンッ・・・セヤァァァァァァァァァ!!!
レイキュバス:レェェェェェェェェェェィイ!!!
ゴォォォォォォォォォォォォォ!!!
おおっと、まずメビウスが踏ん張りまして、冷凍ガスの射出方向を大きく変えたぁ!
この方向は・・・?
メビウス:今です、ヒカル君!!!
ヒカル:今だギンガ!
ギンガ:シュァァァ!!!!
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!
シルバゴン:グギャァァァァァァァァ!!!!
ああああっとぉ!冷凍ガスがシルバゴンに命中!
流石ウルトラマンのコンビだ!
見事な連携攻撃で敵を封じる作戦であります!
さぁ、あっという間に凍り付いたシルバゴンを、
今度はギンガが持ち上げまして・・・
ギンガ:ショウラァァァァ!!!
大きく投げた!そして、その先には!
レイキュバス:レェェェェェェェェェェィイ!!!
レイキュバスに激突!
見事な流れで相手2体の動きを封じ込めた!
メビウス:ハァァァァァァァァ・・・・!
ヒカル:ギンガセイバー!
さぁ、そして何と!
メビュームブレードとギンガセイバー、
2大ウルトラマンの得意技が・・・
ギンガ:ウルトラクロスラッシャァァァァァー!
メビウス:セヤァァァァァァァァァ!
バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!
W必殺技として炸裂!これには2大怪獣もたまりません!
見事にコンビネーションでレイキュバスとシルバゴンを
ダウンさせました!!!
ヒカル:これぞ、ウルトラコンビネーションだな!
メビウス:うまくいきましたね!
(元記事2015年06月6日公開 ウルトラファイト 第4回 メビウス&ギンガ!ウルトラコンビネーション! 2019年3月19日 加筆修正)
再スタートと御挨拶
校長です。
この度Yahooブログがサービス終了という事でこのはてなブログで新たなブログを開設する運びになりました。
私がYahooブログを始めてからちょうど、満10年となる日に再スタートとなります。
今思い返すと、本当にYahooブログでは様々な方との交流があったと記憶しております。
現在私はTwitterやツイキャス、そしてYouTubeでの作品配信をインターネットの活動の場としております。
というのも、かつては盛んだったYahooブログも、サービス終了への流れになったように自他ともに「ブログ」というコンテンツから飛び出したのが原因であります。
しかし今、私がインターネットでの活動を始める原点となったYahooブログが偶然、開設から10年で終了となるという一報を受けて
「1度ここで原点に戻ってみる事が、今後の更なる活動の進歩に繋がるのでは」
と考え、場所を改めてブログを復活させる決意を致しました。
さて、復活するのは良しとして、今後、当ブログでは校長はどのような活動を行っていくのか、というのが重要なポイントになると自分自身も実感しております。
意見の発信としてTwitterというコンテンツがある以上、ブログでは何が出来るのだろうか、ブログにしかできない活動とは何だろうか。
そのポイントとして、今後は当ブログではTwitterよりも「ディープかつ決定版」といえる「ネタ」をお送りしたいと思います。
Twitter、生配信の特徴としては様々な鮮度の高い情報が高スピードで流れるというものですが、これはある意味「情報の消費」とも言えます。
ブログは文字数に囚われない、という事や読者の方が好きな時に過去のアーカイブを選択して取り出すことが可能である、という利点があります。
さらに、TwitterはあくまでTwitterの中でしかないコミュニティや情報のやりとりであるのに対して、ブログはYahooでも、はてなでも、検索エンジンに引っかかりさえすれば様々な方に様々な記事を見てもらうことができます。
そういった利点を生かして、今後は
・作品紹介
・玩具紹介
・固有のキャラクターについて
そして、何より校長といえば、ウルトラファイト!
今後は
・Yahooブログにて公開していた旧作の順次公開
に加えて
・完全新作となるウルトラファイト
の公開も予定しております。
ひとまず、先行として新しいウルトラファイトと初代ゴジラの作品紹介の記事を追加しましたので、よろしければご覧下さい。
10年を迎えて心機一転、何時まで続けられるかは分かりませんが、とりあえず次の10年に向けて活動していきたいと考えております。
Yahooブログでの記事総数は約1000件。このブログはまさに0からのスタート、そういった意味での「校長がゆく真空地帯」。
私もこれからどうなるか、非常に楽しみです。
ぜひ、よろしくお願いします。
Fight.1 恐怖!バルタン忍法!
バルタン星人:ブォッフォッフォッフォッ!!!
あ、あれはバルタン星人です!
バルタン星人が現れました!
バァァァァン!
ウルトラマン:ヘァッ!
そこにウルトラマンが現れました!
怪獣島でのウルトラファイトがついに数年ぶりの沈黙を破って今復活します!
さぁ、両者ともに早速戦闘態勢だ!
ウルトラマン:ダァッ!
バシィィン!
ウルトラマン得意のチョップ!
ウルトラマン:ダァァァッ!
バシィィィィィィィン!!!!!!
再び決まった!得意技を畳みかけている!
ウルトラマン:ヘァッ!
プォンッ!
あっと、しかしバルタン星人姿を消した!
瞬間移動でしょうか姿を消してしまったバルタン星人!
これにはウルトラマンも戸惑いを隠せないか!
ピィィィィィィィィ!
バシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
ウルトラマン:ヘァッ!
ああっといきなりバルタン星人必殺の赤色凍結光線!
ウルトラマンが動けなくなってしまった~!
見事な技、これが恐怖のバルタン忍法であります!
ゆっくりとウルトラマンに近づきまして
バルタン星人:ブォッフォッフォッ・・・
最後のとどめをさそうとしている!
大きなそのハサミを振りあげた!
ウルトラマン:ヘァッ!
バシィィィィィィィン!!!!!!
あっとしかし間一髪、ウルトラマンが意識を取り戻して真剣白羽取り!
ウルトラマン:ダァァァツ!
ググググ・・・!
さらに得意の超パワーでハサミをねじ伏せた!
ウルトラマン:ヘァッ!
ビィィィィィィィ!!!!!
そしてその体制を生かしてスぺシウム光線!
バァァァァァァァァァァァァァァァン!
バルタン星人大爆発だ!
ウルトラマン、見事に勝利しました!
ウルトラマン:ヘァッ!
勝利した我らのウルトラマン、大空に颯爽と飛び立っていきました!
初代「ゴジラ」作品紹介 記念すべき第1作の秘めるもの
冒頭に浮かび上がる「賛助 海上保安庁」の文字
当時の東宝マークに重なる形で、ズン、ズンと大きく響く足音
そして鳥肌が立つような恐ろしい鳴き声、
大きくスクリーンにタイトル「ゴジラ」。
映画の冒頭を文字にしてみましたが、何度見ても風格溢れる流れです。
第一作のゴジラです。
この初代ゴジラはもう60年以上前の作品。
色んな所で語られ、考察も様々な考察がなされています。
○キャスト
宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬、堺左千夫、村上冬樹、山本廉、榊田敬二、
鈴木豊明、馬野都留子、菅井きん、笈川武夫、林幹、恩田清二郎、高堂国典、
小川虎之助 他
○スタッフ
製作:田中友幸 監督:本多猪四郎 特殊技術:円谷英二
(向山宏、渡辺明、岸田九一郎)
原作:香山滋 脚本:村田武雄、本多猪四郎 音楽:伊福部昭
○おはなし
船舶の沈没事故が頻発。
救出された漁師は「巨大な怪物に襲われた」と恐れおののく。
それは水爆実験の影響で二百万年前もの太古の眠りから目覚めた、
ゴジラの仕業だった。政府は災害対策本部を設置し、ゴジラ撃退作戦を開始するが、
高圧電流も戦車砲もものともせず、ゴジラは東京に上陸し、破壊の限りを尽くす。
未曾有の怪獣被災の脅威に対し科学者・芹沢は自ら発明した水中酸素破壊剤
「オキシジェン・デストロイヤー」の使用を決意するのだった。
果たしてゴジラを倒すことが出来るのだろうか。。。
・日本にとっての国産本格怪獣映画第1号。
・作品のメインテーマテーマは戦争・水爆がもたらす恐怖とそれに対する警鐘。
・非常に当時の情勢を反映した、風刺的な作風。
・そういったテーマに始まり
①どんな手段を使ってでもゴジラを撃退すべき
②ゴジラを殺さずに科学的に研究するべき
③ゴジラは撃退すべきだが、その方法として超えてはいけない科学の一線は踏みとどまるべき
この3つの考えを持つ登場人物がストーリーの軸。
・コメディシーンは1つもなく、非常に真面目、堅実な造りの作品。
・画面の細かい部分、ほんの短い場面にも意味を持たせている演出。
・初の怪獣特撮にもかかわらず、戦争映画で蓄積された見事な円谷特撮が炸裂。
ミニチュア、ゴジラを収める構図、徹底して人間を狙い、東京を火の海に変えるゴジラ、素晴らしい特撮。
・モノクロ作品なのも、この作品ではメリットに働いている。
その暗い画面に浮かぶように映るゴジラは不気味で恐ろしい。
・主題のテーマが重く、暗いのに対し、怪獣破壊エンターテイメントとしても見ごたえは十分。
・戦時中の資料映像も流用され、まるで記録映画を見ている様。
僕は初めて初代ゴジラを見た幼少期は、白黒で、雰囲気も実際の画面も暗いし登場怪獣もゴジラだけ・・・
冒頭10分、20分くらいで見るのをやめたのを覚えています。
何しろ、vsゴジラでゴジラ初体験、当時はミレニアムシリーズが始まった時期だったので、暗い、ゴジラしか出ない初ゴジって、
つまんない作品、というのが正直な感想でした。
この初代ゴジラは実際に戦争を体験して水爆の恐怖を恐れた人々が作り手であって、さらに見る側の人々もそうであった時代に作られた作品。
1954年といった時代だからこそ作ることができた、言い換えればこの1954年にしか作ることの出来なかった映画。
それと当時に、1954年当時に生きていた日本の人々にしか伝わらないような、訴えるような、前述のように細かい描写や場面にそれが見られます。
「あぁ、また疎開だよ」と電車で男性が呟くシーン
僕なんかは平成生まれなので
「ああ、この人たちは戦争を体験した人たちなんだ」と客観的に思うんですが、
よく考えると当時の人からするとこの言葉を聞いた途端に自らの戦争のときに逃げたり、生き延びたりした記憶がフラッシュバックするようなセリフだと思うんですよね。
当時の人にとってこの初代ゴジラはとんでもなく怖い映画なのではないかと想像ができます。
当時の人にこそ響くようなものを内包した作品だと思います。
逆に言うと今の時代を生きる我々にとっては当時の情勢や戦後の雰囲気を目撃する「資料」としての側面もあるのが興味深い。
そしてそれはこの作品があたかも実在した出来事であるかのように錯覚させる役割としても功を成している。
実際の資料映像を使っていたりするのもより一層それを際立たせる。
戦争・水爆が生み出すゴジラの恐怖というテーマは今の人が見ても昔の人が見ても伝わるんだけど、伝わり方が違う。
実際に戦争を経験した世代にはその時の記憶を呼び起こさせて、
戦争を経験していない世代にも疑似的に本当の出来事と錯覚するように伝わる。
後者のほうは決して狙って生まれた効果ではないと思いますが、作品自体に非常にリアリティがあってしっかりしている作品なので、
それが生まれるのはある意味必然なのかも。
あと砲撃音が迫ってくるような=戦闘機が近くなっているのを連想させる
ゴジラの足音とか悪意に満ちたまさに獣のような声が怖い。
未だに初代を見るときはドキドキします。
あと、初代の時点で、有名なゴジラのテーマ
(詳しく言うと人間がゴジラに立ち向かうテーマ)は完成しています。
音楽はもちろん後のシリーズも長年支えた伊福部昭。
ゆっくり、ゆっくり海からやってくるゴジラにかぶさる音楽なんかは
ゴジラへの恐怖をより一層引き立てます。
フリゲートマーチやゴジラのテーマや人類のテーマこそ流れるものの、
後の作品に比べると伊福部サウンド全開といった感じではないのですが、映画音楽として本来果たすべき、映像を引き立てるような音楽という役割は十分果たしていると思います。
・元来、大戸島で祀られていた=神様であった。
→「神」という概念は"人間"が作り出したものであるし、
・水爆によって生まれ変わった
→不覚にも発達しすぎた科学技術によって人間に作り出されたもの
この2つの点で考えると、ゴジラの誕生には人間の存在が欠かせず、人間が自らの手によって苦しめられる、という部分が暗に強調されているような気もします。
ゴジラは意を決した芹沢とともにオキシジェンデストロイヤーによって
海中でその命を絶たれます。
皮肉にも、物語の序盤で「昔はゴジラのいけにえに、若い娘を海に流したもんだ。」
と大戸島で老人から語られていた事をなぞるようにして、物語は幕を閉じる。
若い、これから日本の、世界の未来を支える存在となったかもしれない若い科学者、
芹沢が、自分の命とその人生で唯一作り上げた発明を犠牲にして、
ゴジラを鎮めた。
ゴジラを倒しても、物語は決してハッピーエンドには描かれない。
結局、人間の愚かな行動が人間自身を苦しめるという描写に徹する。
まるで、戦争の後には勝利も敗北もなく、破壊された瓦礫と苦しみだけが残るのを投影しているような演出。
「今回こうやってゴジラを倒したけど、これでいいの?」
自責の念のような感性を映画に組み込むのは独特なものではないのかなと考えます。
面白い、つまらない以前に、とにかくこの「初代ゴジラ」はスゴい映画であることは、間違いないと思います。
(2016年3月執筆 2019年3月17日 加筆修正)